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最高裁判所大法廷 昭和40年(あ)1541号 判決 1966年7月13日

主文

本件各上告を棄却する。

理由

弁護人矢田正一の上告趣意第一点および第二点について。

所論は、事実誤認、単なる法令違反の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当らない。なお、本件において、被告人石原光邦が被告人高岡吉延に対して現金三万円を交付したとする本位的訴因と、被告人石原が被告人高岡と共謀のうえ、右現金三万円中合計二万七、〇〇〇円を高尾正太郎らに対してそれぞれ供与もしくはその申込をし、又は交付したとする予備的訴因との間には、公訴事実の同一性が認められるから、右予備的訴因の追加を許可した原審の措置に違法の点はない。また、記録によれば、本件の場合、第一審以来の審理において、金員の授受およびこれに関連する一連の事実関係が十分明らかにされ、被告人の防御にも支障はなかったものと認められるから、原審が、事件を第一審に差し戻すことなく、右予備的訴因に基づいて自ら判決をした措置は、被告人石原に対して審級の利益をはく奪したものとはいえず、所論はいずれも採るをえない。

同第三点について。

いわゆる選挙の買収事犯において、金銭又は物品の供与等を共謀した者相互の間で、その供与等を目的とする金銭又は物品の授受が行われても、かかる授受の行為は交付又は受交付の罪を構成するものでないとする見解が、公職選挙法二二一条一項と趣旨を同じくする旧衆議院議員選挙法一一二条一項に関して、大審院昭和一二年(れ)第二二八号同年六月二二日判決(大審院刑集一六巻九八三頁)および同昭和一二年(れ)第三〇二号同年七月九日判決(同刑集一六巻一一九五頁)に示されていることは、所論の引用するとおりである。〔所論引用の判例中、同昭和九年(れ)第二四八号同年四月一六日判決(同刑集一三巻四八五頁)は、旧衆議院議員選挙法一一二条一項中に交付および受交付の罪が規定されるより前の事案に属するから、この論点について適切な判例とはいえない。〕そして、この見解の前提には、共謀者間に金銭又は物品の授受が行われても、それは目的とする供与等の犯罪を遂行するための一階ていたる準備的行為にとどまり、また共同意思のもとに一体となった共謀者の内部における金銭又は物品の移動にすぎないから、独立の罪として評価されるべきではないとする解釈がなされているものと考えられる。

しかしながら、旧衆議院議員選挙法一一二条一項五号ならびにこれを承継した公職選挙法二二一条一項五号にそれぞれ交付および受交付の行為を処罰する旨規定しているのは、いわゆる買収を目的としてその資金等を交付し又はその交付を受ける行為が、それ自体選挙の腐敗を招く根源をなすものであるから、かかる腐敗の根源を速かに除去するため、買収にいたる前段階の交付および受交付の行為を独立して処罰の対象とし、もって公職の選挙における不正の防止を一層実効あらしめようとする法意にほかならないものと解されるのである。したがって、交付又は受交付の行為がいわゆる買収にいたるための準備的行為であり、また買収を共謀した者の相互間における内部的な行為であるからといって、その可罰性を否定することは、特にこれらの行為を処罰する旨の規定を設けた立法の趣旨に反するものといわなければならない。この意味において、本件に関し、原判決が、被告人石原と被告人高岡との間に高尾正太郎らに対する供与等いわゆる買収の共謀が存したことを認めたうえ、なお被告人石原から被告人高岡に右買収資金として現金三万円を交付した行為について公職選挙法二二一条一項五号の交付罪が成立するのに妨げないとしている点ならびに右被告人両名および被告人伊藤一助との間に選挙人又は選挙運動者に対する右同様買収の共謀が存したことを認めたうえ、被告人石原と被告人高岡との両名から被告人伊藤に右買収資金として現金一万三、〇〇〇円を交付した行為について、同号の交付罪の成立を認め、かつ被告人伊藤においてその交付を受けた行為を同号の受交付罪に問擬した第一審判決を維持している点は、いずれも正当な法律解釈を示したものというべきである。この点に関する原判決の判断は、同様の論点に関する前記各大審院判例と相反することになるが、当裁判所はこれらの判例を変更して、原判決の判断を維持するのを相当と認めるので、結局所論判例違反の論旨は原判決破棄の理由となりえないものである。

なお、供与等いわゆる買収を共謀した者の間において、その買収を目的とする金銭又は物品を授受する行為が、交付又は受交付の罪を構成するのに妨げないものであることは叙上のとおりであるが、この場合にも、その共謀にかかる供与等の目的行為が行われたとき(供与等の申込、約束がなされ、又は次の交付もしくはその申込、約束がなされたときを含む)には、一旦成立した交付又は受交付の罪は後の供与等の罪に吸収され、別罪として問擬するをえなくなるものと解するのが相当である。そして、右の交付又は受交付にかかる金銭又は物品のうち、一部分のみについて後の供与等の行為が行われた場合には、その部分については交付又は受交付の罪は後の供与等の罪に吸収され、後者の罪に問擬しうるにとどまるが、受交付者の手裡に保留されたその余の部分については、交付および受交付の罪は吸収されることなく残り、右供与等の罪と交付又は受交付の罪とは、刑法四五条の併合罪の関係に立つものと解すべきである。これらの点について、右の解釈と同旨に出でた原判決の判示は正当と認められる。

ただ、職権により調査すると、本件の場合、被告人石原から被告人高岡に対して交付された現金三万円のうち、右被告人両名の共謀にかかる後の供与等が行われた(供与の申込が行われたことを含む)現金の額は合計二万七、〇〇〇円となり、したがって、その残余の分は現金三、〇〇〇円となるべきにかかわらず、原判決が、被告人石原について被告人高岡に対する現金五、〇〇〇円の交付罪に問擬している点には、事実誤認又は理由のくいちがいが存するものと認められる。しかしながら、右の過誤があっても、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものとは認められない。

同第四点について。

所論は事実誤認の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当らない。

よって、同四一〇条二項により、裁判官下村三郎の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官下村三郎の反対意見は、次のとおりである。

わたくしは、弁護人矢田正一の上告趣意第三点、即ち、判例違反をいう論旨は理由があるから、原判決は全部これを破棄し、本件を原審に差し戻すべきものと考える。

以下に、その理由を述べる。

(一) 多数意見が、旧衆議院議員選挙法一一二条一項五号ならびにこれを承継した公職選挙法二二一条一項五号にそれぞれ規定されている交付および受交付の行為を処罰する法意について説示するところには、もとより反対すべき理由はない。しかし、交付又は受交付の行為がいかなるものであるかが問題であって、買収資金等の移動が選挙の腐敗を招く根源であるからといって、公職選挙法の規定する交付罪又は受交付罪の構成要件に該当しない行為まで処罰することは許されないものと考える。したがって、多数意見が、右説示に続いて、「したがって、交付又は受交付の行為がいわゆる買収にいたるための準備的行為であり、また買収を共謀した者の相互間における内部的な行為であるからといって、その可罰性を否定することは、特にこれらの行為を処罰する旨の規定を設けた立法の趣旨に反するものといわなければならない。」とする点には、賛成することができないのである。

(二) 公職選挙法二二一条一項一号および五号の罪について、本件の判断に必要な限度において説明すれば、一号のうち、供与罪は、特定の候補者に当選を得しめる目的をもって選挙人又は選挙運動者に対し金銭を授与する行為であり、受供与罪は、選挙人又は選挙運動者が右の趣旨を了知して右の授与を受ける行為であり、五号のうち、交付罪は、一号の行為、即ち、選挙人又は選挙運動者に対し金銭を授与する行為をさせる目的をもって、選挙運動者に対し金銭の所持を移転する行為であり、受交付罪は、選挙運動者が右の趣旨を了知して右の所持の移転を受ける行為である。

右によって明らかなように、供与罪と交付罪、受供与罪と受交付罪とは、それぞれ、その構成要件を異にする。供与罪と交付罪との主たる差異は、供与罪は、直接にその相手方である選挙人又は選挙運動者に対し金銭を授与、即ち、その所得に帰属させる意思をもって手交するものであるが、交付罪は、第三者である選挙人又は選挙運動者に対し金銭を授与する行為をさせる目的をもって、相手方である選挙運動者に対し金銭を手交し、その所持を移転するものであることにある。したがって、交付罪については、さらにその交付を受けた者によって供与罪が犯されることはあっても、交付罪自体が供与罪に発展するということはない。即ち、交付罪は供与罪の一段階たる行為ではないということができる。この点については、供与罪には必ず供与の申込という段階があるから、供与罪を犯そうとした者が相手方の拒絶によって目的物を供与することができなかった場合に、これを供与の申込罪として処罰することができるのと、その趣を異にするのである。

(三) 共同正犯は、二人以上の者が共同の犯意のもとに相協力して特定の犯罪構成要件に該当する行為を実現するものであるから、共犯者は、その行為のいかなる部分を分担したかを問わず、ひとしく、その実現された行為の全部につきその責任を負わなければならないし、その反面、責任を負うのは、共同の犯意にかかる行為の範囲に止まるものであることは、いうまでもないところである。

甲、乙および丙が丁に対して前記供与罪を犯すことを共謀し、金銭は甲が支出し、実際の供与行為は乙が分担するものとした場合において、甲が金銭を支出して乙に手交し、乙がこれを受領したうえ丁に授与したときを考えてみると、供与罪は供与行為の実現によって既遂となるから、甲、乙および丙は、いずれも丁に対する供与行為につき責任を負わなければならない。しかし、右の場合に、甲が金銭を支出して乙に手交し、乙はこれを受領したが、丁に授与するに至らなかったときには、供与罪は既遂とならないことはもとより、その実行に着手したことにもならず、供与罪の予備を処罰する規定はないから、甲、乙および丙は、いずれも、供与罪によってこれを処罰することはできない。換言すれば、この場合には、甲、乙および丙のいずれかが、甲、乙および丙、即ち、共犯者以外の者である丁に金銭を授与するという行為がなかったから、甲、乙および丙の意図した供与罪の構成要件は、充足されるに至らなかったためである。したがって、甲が乙に金銭を手交し、乙がこれを受領した行為は、いわば供与罪を犯そうとした共犯者内部における供与行為を犯すための準備的段階にある行為に止まるものといわなければならない。

それならば、金銭の供与行為又は受供与行為も、また、交付行為又は受交付行為も、それぞれ、外形的事実として金銭の所持の移動があったという点は同じであるから、右の甲から乙に金銭を手交し、乙がこれを受領した行為を交付罪又は受交付罪として処罰し得るかというに、供与罪を犯そうとする共犯者の間の問題、即ち、各共犯者が供与行為を犯すという犯意のもとに行動している場合である限り、否定的に考えなければならない。けだし、供与罪と交付罪、あるいは、受供与罪と受交付罪とは、前記説明のとおり、それぞれその構成要件を異にするからである。

前記設例についていえば、甲が乙に金銭を手交し、乙がこれを受領するときの甲の犯意は、自ら丁に金銭を供与する、ただ供与の実際行為は乙に分担させるというものであり、乙の犯意は、同じく、自ら丁に金銭を供与する、供与の実際行為も自分が分担するというものである。もし、甲と乙との間に交付罪、受交付罪が成立するものと仮定すれば、甲の犯意は、自ら丁に金銭を供与するというものではなくて、乙に、他の選挙人又は選挙運動者(丁である場合もあるであろう。)に対し金銭を供与する行為をさせるため、金銭を交付するというものでなければならないし、乙の犯意は、甲からの金銭の手交は、甲が自分に対し他の選挙人又は選挙運動者(丁である場合もあるであろう。)に対し供与行為を犯させるためのものであろうというものでなければならない。したがって、金銭の供与罪を犯そうとする共犯者である甲および乙の間に金銭の手交、受領の行為があったが、丁に対する供与行為が実現されなかった場合に、金銭の所持の移動という外形的事実が同じであるからといって、にわかに、甲および乙の各供与行為の犯意を甲の交付行為および乙の受交付行為の各犯意にそれぞれ転換させて考え、甲に交付罪、乙に受交付罪の成立を認めることは誤といわなければならない。右と同様の理由により、甲から金銭を受領した乙が、さらにその金銭を丙に手交したが、丙はこれを丁に供与するに至らなかった場合に、乙に丙に対する金銭の交付罪、丙に乙からの金銭の受交付罪の成立を認めることはできない。もっとも、供与罪を犯そうとする共犯者の間に、供与の犯意のほかに重複して交付又は受交付の犯意が存在し、あるいは、供与の犯意とは別に交付又は受交付の犯意が存在しているならば、供与罪の成立が認められない場合に、これらの犯意にもとづく行為を処罰し得ることはいうまでもないが、それは、事実認定の問題に帰着する。

この意味において、弁護人がその所論において引用する公職選挙法二二一条一項と趣旨を同じくする旧衆議院議員選挙法一一二条一項に関する大審院の昭和一二年六月二二日判決および同年七月九日判決の趣旨は、なお維持さるべきものと考える。

(四) 原判決は、被告人石原および同高岡については、第一審判決中右被告人両名に関する部分を破棄した上、判示第一の(五)として、右被告人両名が共謀のうえ被告人伊藤に対し現金一三、〇〇〇円を交付した事実および判示第二として、被告人石原が藤原俊男を介し被告人高岡に対し現金五、〇〇〇円を交付した事実(この五、〇〇〇円は三、〇〇〇円の誤認であることは、多数意見の説示するとおりであって、以下三、〇〇〇円と表示する。)を認定し、被告人伊藤については、第一審判決が判示第三として認定した同被告人が被告人高岡から右現金一三、〇〇〇円の交付を受けた事実について誤認がないとして、同被告人の控訴を棄却し、これを維持しているのである。

(五) そして、右各認定事実並びに第一審判決および原判決の各説示するところを総合すれば、被告人石原、同高岡および同伊藤の三名は、三刀屋町居住の選挙人又は選挙運動者に対し投票又は投票とりまとめの選挙運動を依頼し、その報酬等として金銭を供与することを共謀し、その資金として、被告人石原は藤原俊男を介して被告人高岡に現金三〇、〇〇〇円を手交し、被告人高岡は被告人伊藤に右現金三〇、〇〇〇円のうち一三、〇〇〇円を手交したものであることならびに前記第一審判決および原判決の認定において、被告人石原および同高岡から被告人伊藤に交付し、被告人伊藤が交付を受けたとされる現金一三、〇〇〇円および被告人石原が被告人高岡に交付したとされる現金三、〇〇〇円は、それぞれ、被告人伊藤が被告人高岡から受領して他に供与等をすることなくそのまま手裡に保留していた現金一三、〇〇〇円であり、被告人高岡が被告人石原から受領した三〇、〇〇〇円から他に供与等をした金額を除いた残金三、〇〇〇円で手裡に保留していたものであることを認めることができる。

(六) 右によれば、原判決は、供与罪の共犯者の間において金銭が手交、受領され、その金銭を受領した者が共犯者以外の他の者に対して供与せず、手裡に保留していた場合に、手交した者に交付罪、受領した者に受交付罪の各成立を認めたことになり、前掲(二)および(三)において説明したところに照らせば、原判決は、罪とならない行為を処罰したものということができる。

ただ、原判決が、(イ)被告人石原、同高岡および同伊藤を供与罪を実行しようとした共犯者と認め、そのままの状態において、右共犯者の間における金銭の手交、受領について交付、受交付罪の成立を認めているのか、(ロ)右供与罪の犯意のほかに、重複して、被告人石原あるいは同被告人および同高岡に交付の犯意が、被告人高岡あるいは同伊藤にこれに対応する受交付の犯意がそれぞれ存在していることを前提として、交付、受交付罪の成立を認めているのか、あるいはまた、(ハ)右(イ)の場合とは別に、右被告人三名に交付の犯意、共謀による交付の犯意、あるいは、それぞれこれに対応する受交付の犯意があったことを前提として、交付、受交付罪の成立を認めているのか、そのいずれであるか、多少の疑念を抱かざるを得ない。多数意見がこれを解するところについても、同様である。しかし、もし、本件が右(ロ)あるいは(ハ)の場合であるならば、それは全く右(イ)の場合と別個の犯意にもとづくもので、その基礎である事実関係を異にするから、その理由によって弁護人らの主張を排斥してしかるべきものであろう。さような説示に出ないところをみると、やはり、右(イ)の場合と解して判断を下したものと解するほかはないのである。

(七) 以上の次第であるから、原判決中判示第一の(五)及び判示第二に関する部分並びに第一審判決中判示第三の事実認定を是認した部分は、いずれも罪とならないものを処罰した法令の違反があって、判決に影響を及ぼすことが明らかであり、且つ前記大審院の判例と相反する判断をしたことになるから、弁護人の上告は理由があり、原判決は全部破棄を免れない。よって、原判決は全部これを破棄し、本件を原審に差し戻すべきものと考える。

(裁判長裁判官 横田喜三郎 裁判官 入江俊郎 裁判官 奥野健一 裁判官 五鬼上堅磐 裁判官 横田正俊 裁判官 草鹿浅之介 裁判官 長部謹吾 裁判官 城戸芳彦 裁判官 石田和外 裁判官 柏原語六 裁判官 田中二郎 裁判官 松田二郎 裁判官 岩田 誠 裁判官 下村三郎)

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